ボスニア

クロアチアの隣の国ボスニア 15年ほど前はユーゴスラビアという同じ国だった正式
な名称は  ボスニア・ヘルツェゴビナという  
すごく雑に国境を書くと この黄色の線のような感じ。 

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クロアチの港街 おしゃれで明るい雰囲気のスプリットのバス停をで出ると
3時間ほどで 国境へ付く 
出国と入国の別々の係官が 順にバスへ乗り込みパスポートの検査をする
(ちなみに最近 ユーロの国々に行かれた方は ご存知でしょう
陸路でのユーロ内の移動はまったく パスポートの検査がない ゲートすらない) 

ボスニアに入るとすぐに バスのドライバーも替わり バスも乗り換える
雰囲気がずいぶん 違ってくる、、、、 建物には銃弾のあとが残り 
ごみも増え すさんだ印象をうける。

途中 イスラム教のモスクも見え始める、、、、

ボスニアの モスタールの街へ着くまえに 突然検問があり あと20キロほどだが  
このまま前進は不可と 言われる、、、、、、と言っても 言葉(英語)が通じないので
なにが起こったのか わからない バスは引き返し始めた、、、、 
しばらく 走って バスの中のボスニア人らしき人に 状況を身振り手振りで 尋ねると 迂回路を通るらしいという、、、 山道を延々と上り かなり迂回しモスタールの街が 見えてきた 、、迂回したおかげで街の全景が山の上から見えた、、、 念のためこの日は宿の予約をして バス停に迎えにきてくれる約束をメール上でやっていたが、、、、、バスは3時間ほど遅れて着いた、、、、、、 私の名前を書いた紙をもって おじさんが待っていてくれた、 ここは地元の言葉以外は ドイツ語がよく話され 英語はほとんど通じない、、、、このおじさんがドイツ語で説明してくれる、、、、わかったようなわからないような、、、私のドイツ語は数字とこれは何 あれは なに、、という言葉がわかる位だ、、、宿へ向かう途中の壊れた建物を見ては 身振り手振りで ボ~ン ボ~~ンと 爆撃が毎日毎日続いたよ、、、と説明してくれる、、、
そしてやっと ここ数年で 平和がもどったんだ~~ そんな話を聞きながら 宿へ、、、 



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宿は旧市街の中心地で とてもいい雰囲気の場所にあった 宿に着き 隣の壁をみると 銃弾の跡 そして前の建物も銃弾の跡がある 


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この地区は 1995年に戦争が結し いまは クロアチアと同じように 復興しているかも という 予想は大きく外れた、街の三分の一くらいの建物は 銃弾の跡や 壊れたままだ、、、  

カナダの軍隊がこの戦争には国連軍という形で長年にわたり参戦しており 時折ニュースで悲惨な戦争だとは聞いていたが、、、実感がなく 遠い国の出来事でしかなかった、、、、



街の散歩に出かけた
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街角の銀行や劇場は戦場の中心になり ほとんどが壊れたままで 廃墟となった建物の中に十年の年月が経過したことを語る木々がすでに育っていた、、、、、 
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窓は修理され人は住んでいるが 外壁はまだ、、、
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実はちょうど この旅に出る前に縁があり この戦争のトラウマでカウンセリングを必要とする
心理的な障害をもつ少年少女たちが多くいることを聞いていた、、、

遠い国の出来事だったが  この旅を機会に この戦争のことをほんの一部だが知る機会をあたえてくれた、、、 ウィキペディア(Wikipedia)の記事で これを鵜呑みにするのも 危険だが ある一面から見た事実の一部だろう、、、

Googleでボスニア戦争と検索すると 、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%B4%9B%E4%BA%89

以下 記事内容一部紹介

ユーゴスラビア解体の動きの中で、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立を宣言したが、独立時に約430万人の人口のうち、民族構成の33%を占めるセルビア人と、17%のクロアチア人・44%のボシュニャク人(ムスリム人)が対立し、セルビア人側が分離を目指して4月から3年半以上にわたり戦争となった。

両者は全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。

、、、、、、

「民族浄化」とは、異民族を排除し、ある一定の地域を民族的に単一にしようとする政策である。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、各当事者はそれぞれ自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、紛争は「陣取り合戦」の様相を呈していた。このような中で、安定的な自民族の勢力圏を確保し、支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、勢力圏を民族的に単一にする「民族浄化」が行われた。

「民族浄化」は、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。

従軍可能年齢にある男性は各地で集団殺害や強制収容の対象とされた。また、女性らは強制収容後、組織的に強姦を繰り返し、妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込まれた。家父長的な男権社会の影響が残るボスニア・ヘルツェゴビナの村部では、女性を強姦によって妊娠させるこの方法は、効果的に異民族を排除する方法として用いられた。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、それぞれの民族の間のわだかまりは根強く残っている。紛争のさなか、特にセルビア人による蛮行が大きく報じられ、セルビア人を取り立てて悪とみなす論調が広まった。一方でクロアチア人やボシュニャク人も、少なからざる虐殺や強制連行などの蛮行を行っていたことが証明されており、セルビア人だけが非人道的行為に及んでいたわけではない。


スレブレニツァの虐殺

1995年7月6日、ムラジッチ率いるセルビア人勢力は、国際連合の指定する「安全地帯」であったスレブレニツァに侵攻をはじめ、7月11日には中心部を制圧した。7月12日には、セルビア人勢力はスレブレニツァに居住していたボシュニャク人の男性すべてを絶滅の対象とし、8000人以上が組織的に殺害されるスレブレニツァの虐殺が引き起こされた。スレブレニツァの虐殺は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷および国際司法裁判所によってジェノサイドと認定された。

以上 記事転載 



、、、、、、、、


  
世の中にある 戦争のほとんどが、、  *自分たちこそが正義* と いう理由で悲惨な戦争を繰り返してきたように おもう。 そして天使と悪魔の二面性を持つ 我々人間は 正義を理由に時に悪魔となってしまう。



 ドキュメンタリー映画の
  お知らせです 
 

YahooやGoogleの検索で OFFICERAFT QUA と入れると (地球のステージありがとう)という 映画の紹介がでます。 1月31日から 東中野ポレポレ映画館(たぶん小さな劇場)で 上映が開始されます。世界中の戦場で たくましく暮らす子供たちを 捉えた映画でこの監督とは 5年ほどまえに 東京書籍(英語教科書)のドラマ化で Vancouverにて ひと月ほど一緒に仕事をした方です。 日本の子供たちには 自分たちがいかに恵まれた条件の中で 過ごしているのかを気づかせてくれ、 悪条件の元でたくましく 生きる子供たちに 逆に励まされるだろうと おもう映画です。 自分で見てないので評価はできませんが、、 特に子供たちは きっといいメッセージを受け取れるとおもいます。
http://www.officeraft-qua.co.jp/porepore.htm 


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ボスニアの事情を説明してくれた お店のご主人  

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ここの戦争も 民族や宗教が問題で始まった戦争ではなく 
その潜在意識を プロパギャンダ 政治政策で 人々を巧みに操り 戦争へ導く 闇の権力組織だと。人々は言う。   
   

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長年共存してきた異民族が 橋を通り 行き来をしていた
この橋も銃撃戦の中心となってしまい 橋は破壊され 
 2003年に復元された
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政治的なメッセージが書かれてある
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アパートの半分だけが 直され 半分はまだ弾丸のあとが残っている
ボスニアの人々の心はちょうど いまこんな感じなのかもしない
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みんなが手つないだ絵に 願いがこめられてるように感じた
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